[カテゴリ:金沢屋物語]
金沢屋物語 第3話
金沢屋を立ち上げて2ヶ月。あっという間といえば、確かにそうなのだが、思いもよらないことが次々と起こるのにはさすがに驚いた。
当時の私の本来の業務は放送局の業務・編成であり、どの番組をどこに流すのかとか、コマーシャルの枠はしっかり管理されているのかとか、報道制作局と営業局はちゃんと仲良くやっているのかとか(放送局では、報道制作のセクションと営業のセクションが業務上ぶつかり合うことがままあるのだ)、番組広報は効率よく実施されているのかとか、もちろんその他諸々あるのだが、いずれにせよ放送を行うための仕事がメインだった。
そこに、「注文した商品が届かないんだけど!」とか、「商品着いたけど割れてるじゃない!」とか、「画面がわかりにくくて注文できん!」といった問い合わせ、クレームが来るようになったのだ。もちろん、そのような話は基本的に金沢屋事務局で受け付ける話だけれど、いかんせん事務局もまだまだ不慣れなために、対応できずにこちらに回ってくる話もたくさんあった。
そんなわけで、これはトナミ運輸(当時はヤマト運輸ではなく、富山本社のトナミ運輸に配送をお願いしていた)に、この件は日本信販、と電話する私の姿を仲間たちは不思議そうな眼で見ていたと思う。
そりゃ、そうだ。「今度の特番は土曜午前10:30(イチマルサンマル)で」というような会話が突然、「申し訳ありません。集荷が少し遅くなったようです。配送のドライバーに連絡させますので」という会話に変わるのだから。
けれども、実はそのような違和感を職場に感じさせることも金沢屋の使命といえばいえたのだ。民間放送というのはスタートして50年ちょっとになる。この間、売上はほぼ右肩上がり、この放送のビジネスモデルというのはなかなかの優れもので、免許事業ということもあるけれど、たいていは儲かるというビジネスモデルだったのだ。ただ、デジタル化という大きな仕様変更を余儀なくされる中、放送局もいろいろと考えなければならなくなるというのが当時のなんとなくの雰囲気であり、そのためには、商売の実体を知る必要があるのではないか、時間という実体のないものを売るという感覚ではなく、物を売るという感覚を知る必要があるのではないか、視聴者をもっとお客様として認識する必要があるのではないか、個人的には漠然とそんなことを考えていたのだ。だから、いわゆる放送の中枢の現場に、「なんだそりゃ」という感覚を持たせることはデジタル化を迎えようという放送局にとっては結構大切なことだったんだと思う。
「デジタル化とは放送と通信の融合であり、それはつまり放送と通信の戦いである」
そんな感覚とはまだまだ程遠かったけれども、この金沢屋の中から何かを掴めるかもしれない。配送も、決済も、在庫管理も、もちろん顧客対応の事務局フローも、放送現場にはほとんど必要のない言葉である。けれども、物販をスタートすれば必ず避けて通れないものばかり。
インターネットを使って石川県の特産品を販売する、「いい人のいいもの」を売ろうとすればするほど、実はこのバックヤードの充実が不可欠であり、これができなければ金沢屋をベースとした放送と通信の融合なんて全くの絵空事にすぎないんだろうなあというのが、当時ぼんやりと思っていたことである。もちろん、そのバックヤードの充実にこんなに苦しむことになるとはその時の私には想像もつかなかったのだけれど。













